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♪リウマチの仲間やDr.♪
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2006年 08月 27日
![]() もう一ヶ月も帰ってこないけど、どこに行ったんだろう??? 戻ってくるまで、私が代わりに「番犬」をするか! by タラコ タラコには随分慰められています。 by 飼い主 注: 小屋の中を見てください。黒い物体がいます。(笑) ![]() 前は、こうして仲良く並んで寝ていたんだけどなあ・・・ by タラコ 距離がビミョー・・・ by 飼い主 2006年 08月 26日
この頃ずっと食欲不振が続き、しつこいものや肉類は見るだけでもいやな感じがしていた。(おかげで?体重が2kg減り、体脂肪も5%減った。(^^;)あの揚げ物好きの私が…である。年のせいと言えば言えなくはないけれど、急激にこうなるのは何か変だと思った。リウマチの医師に話すと、リウマチの薬もずっと飲んでいるし胃カメラをやった方がいいねと言われたのだが、これまでの2回の胃カメラの経験から胃カメラはもうやりたくない!という強い意志?があった。
「鼻から胃カメラ」というのが最近はあるようだけど、沖縄でもできるのかなあとずっと気になっていた。私がリウマチでかかっている病院ではできないということだった。ある日、新聞にある胃腸科クリニックの広告が載っていて、そこに「鼻から胃カメラできます!」と書いてあるのを発見した。そこで早速そこに電話をして予約を取った。込んでいて、2週間先の予約になった。リウマチの医師に、自分で「鼻から胃カメラ」ができるところを見つけたのでそこに行くと言ったら、診療情報提供書を書いてくれた。診療情報提供書はなくてもいいけど、あったほうが何かと便利?だと言うことをこれまでの体験で実感していた。 前日の午後8時までに食事を済ませ、その後は水とお茶だけOKということだった。当日の朝、薬〈胃薬を除く〉は水で飲むなら大丈夫と言うことだったので、飲まないと動けなくなるステロイド剤だけを水で飲んだ。それも7時までにだ。前回胃カメラをやった時には(口からだけど)当日は薬も飲んではいけないと言うことだったので、胃カメラをやる前にリウマチ科に行って、ステロイドを注射してもらった記憶がある。多分、当日は薬も飲まない方がいいのだろうが、飲んでいてもそんなに影響はない、ということなんだろう。 予約は午前9時半だったのだが、9時15分頃病院に着いた。最初に医師の診察があり、食欲がないことや、食べたあと胃がもたれることや、寝ている時に時々食道の辺りが焼け付くような感じがすることや、いろいろ症状を話した。医師は胃カメラで中を見ればわかるからということで、胃カメラのやり方の説明をしてくれた。「口から胃カメラ」よりカメラや管の直径が細く5mmであることや、そのために特別な技術がいることなどを話してくれた。自分はこの道に精通しているので安心してくださいとも言った。医師の「安心してください」という言葉は、魔法の言葉だ。本当に安心する。よく聞くと、その医師は痛くない大腸カメラでかなり有名な医師だった。 診察が終わって、胃カメラ室に入った。ベッドに横になって、まず、看護師さんが鼻に軽い麻酔薬を入れた。シュッシュと吹き付けるような感じ。それから5分位して、こんどは液体っぽい麻酔薬をトロ~リという感じで入れた。ちょっと違和感があるけど、痛くも痒くもない。それでしばらく待っていると、医師がやってきた。 どちらの鼻の穴から管を入れるかということになって、私が右は副鼻腔炎の炎症が前にあったので左がいいと言ったら、医師はまず左の穴から入れようとした。でも、どうも引っかかってうまく入らなかった。入れやすいほうから入れるほうが楽なんだよね、ということで右の鼻の穴を試したら、こちらはすっと入った。なんとなく違和感はあるけど、す~っと管は入っていった。喉の辺りで、ちょっとだけ止まったけど、そのうちまだすっと入った。看護師さんに「力を抜いて」と言われて、知らず知らずのうちに力が入っていたのがわかった。確かに首の辺りに力が入っていた。力が入っているとそこが緊張しているので管が通りにくいのだろう。意識的に力を抜くと、「上手、上手!」と言って褒めてくれた。医師が今は喉の辺り、これから食道に向かいま~す、みたいに説明してくれる。モニターをずっと見ていたのだけど、時々、気持ち悪くなりそうで目を瞑った。最初、私の鼻の穴が「大アップ」でモニターにあらわれたときには、ギョッとした。(笑) 食道はきれいだなあと言いながら通過。確かにピンク色でつやつやしていてきれいだった。胃の中も少し色が薄い以外は潰瘍や糜爛もなく、きれいだということだった。色が薄いのは胃が疲れていて動きが悪いためのようだ。そういえば、色が薄いピンクというか、白に近い感じ。十二指腸まで行って、ここもOK。胃に戻って、青い液体を胃壁に吹き付けた。糜爛の先端は濃く染まるようだが、特にどこも濃く染まらなかった。問題なしみたいだ。 という感じで、全部で20分くらいで終わった。管がどんどん抜けていって、鼻からスポッと出た時には、やはりホッとした。「口から胃カメラ」に比べて、あの悪魔の!!オゲーオゲーが全然なかったので格段に楽だった。でも、やはり、喉や食道や胃に管が入っている時の異物感はあった。あまり気持ちのいいものではないけど、これがいやだといったら贅沢だろう。「鼻から胃カメラ」で、胃にポリープなどが見つかり切除というときや、要再検などという場合には、やはり「口から胃カメラ」になるそうだ。 胃カメラのあと医師に結果を聞いた。パソコンに私の胃が写し出されていて、それを見ながらだ。潰瘍も何もなく胃や食道はきれいだということがわかった。とりあえず安心!! 食欲不振は胃の動きの不活発さからきて、焼け付くような感じは胃液が逆流していることが原因だろうということで、胃酸を抑える薬と胃の働きを活発にする薬を処方された。そして、こんど元気な時に?大腸カメラも受けてみてね!と医師に言われた。苦しくないそうだ。 鼻や喉に麻酔がかかっているので、1時間は水や食事をしないでくださいと言われた。支払いを済ませたり、薬局に薬を取りに行ったりしていたら1時間はあっという間だった。1時間過ぎたので、病院の近くに住んでいる友達のうちに行って、昼ごはんをご馳走になったのだ。(爆) でも、まだ食欲はあまりなかった… その後、薬のせいか、少しずつ食欲が戻ってきている気がする。ご飯もおいしいと思えるようになった。でも、一番気をつけなければならないのは「暴飲暴食」だろうな。。。(反省) ![]() 関係ないけど、追熟中の「しまバナナ」で~~っす。食べごろはいつか? 2006年 08月 23日
下のスレッドで内科医系リウマチ医と整形外科系リウマチ医の違い?や特徴?などについて、皆さんのお話がありました。それぞれ、思うところがいろいろあるのだと思います。それに絡んで「RA CITY RAリポート(アメリカ便り)」
の「コメント欄」でもけんけんさんがアメリカのリウマチ医の資格などの話しも出しながら、リウマチ医についていろいろ書かれています。 私は、日本のリウマチ医の資格についてきちんと認識していなくて、頭の中でゴチャゴチャになっていることがわかりました。そこで、リウマチ医のことを少し調べてみました。 一口に「リウマチ医」と言っても、リウマチ指導医、リウマチ専門医、認定リウマチ医、リウマチ登録医、などといろいろな資格があり、それを出しているところも日本リウマチ学会、日本整形外科学会、リウマチ財団とさまざまです。またサイトによっては認定医と呼んでいる場合もあり、これが認定リウマチ医のことなのか、別のものなのかなど疑問も残ります。 とりあえず、私なりにまとめてみましたので、自己満足で(笑)載せておきます。 ご意見、また「これはこうじゃないの」などと言うことがありましたら、ぜひ教えてくださいね。 詳しく書いていくと、何がなんだか???になってしまったので、乱暴ですが、以下のように簡単にまとめてみました。 ★ リウマチ指導医(日本リウマチ学会) 教育施設に10年以上勤務した経験 最近5年間に10以上のリウマチ学に関する研究業績発表 10年以上学会会員 臨床系にあってはリウマチ学会の専門医であること ★ リウマチ専門医(日本リウマチ学会) 5年以上学会の会員 5年以上のリウマチ学の臨床研修 研修単位を30単位以上取得 ★ 認定リウマチ医(日本整形外科学会) 6年間のリウマチを含めた整形外科の研修 専門医試験に合格 特別なリウマチの研修を年に2回以上受け、試験に合格 ★ リウマチ登録医(日本リウマチ財団) 5年以上リウマチ診療に従事している臨床医 リウマチ診療患者名簿40名を有する リウマチ診療患者名簿のうち20名について診療記録の記載 「教育研修会」に出席し、20単位以上を取得 こうしてみると、リウマチ登録医は実際にリウマチ患者を診ているかどうかに重点があり、リウマチ専門医と認定リウマチ医は似たような感じで(何がどう違うのか素人にはわかりにくいですが、認定リウマチ医のほうは「整形外科」の、リウマチ専門医の方は「リウマチ学」の研修を受けている)、リウマチ指導医はどうも一番信頼してもいいらしい感じである、というところでしょうか? 実際の名簿を見てみると、リウマチ指導医は有名な医師も多く、また、年配(60歳以上)の医師も少なからずいらっしゃる感じです。整形外科系で言うと、手術はもうしないで後輩に任せている人もいますね。リウマチ指導医は論文発表も必要なんですね。ここが他と違うところです。 理想的なリウマチ医師はどんな医師かがわかったとしても、住んでいる所によってはそういう医師がいない場合もあり、医師とのめぐり合い、難しいですね。 ↑のまとめをするにあたって、以下を参考にしました。 「流れ 2005 No.240 リウマチ医療の現状」 によると ================= 以下、引用 リウマチの患者さんの治療は、主として内科医、整形外科医の中で、リウマチ診断・治療を専門とする医師によって行われています。 日本リウマチ学会、日本整形外科学会では、リウマチを専門に診断し、治療することが可能な医師に認定を与えています。 日本リウマチ学会には、リウマチ専門医の認定制度があります。リウマチ専門医は、平成16年6月に厚生労働省より広く世間に広告することができる専門医として認められました。リウマチ専門医はある一定期間(5年間)リウマチの研修を受け、実際にリウマチ患者の診察を行った上で、専門医試験に合格した医師に与えられます。現在、日本リウマチ学会には3,356名のリウマチ医が在籍しています。リウマチ指導医とは、日本リウマチ学会内でリウマチ医を指導する資格を与えられた特定の医師を指します。 日本整形外科学会も、リウマチを専門に診ることができる、日本整形外科学会認定リウマチ医制度を定めています。整形外科の認定リウマチ医は、まず6年間のリウマチを含めた整形外科の研修を受け、専門医試験に合格した専門医がさらに特別なリウマチの研修を年に2回以上受け、試験に合格すると認定リウマチ医として認められます。現在4,736人のリウマチ専門医が在籍しています。 その他現在、日本リウマチ財団では、リウマチ登録医という資格を定め、ある一定の資格を持つ医師に登録医を認定しています。 リウマチ医は以下の方法でご覧いただくことができます。 ・日本リウマチ学会専門医は http://www.ryumachi-jp.com/index.html ・日本リウマチ財団登録医は http://www.rheuma-net.or.jp/rheuma/ ======================= 以上、引用 日本リウマチ学会より ===================== 以下、引用 日本リウマチ学会 専門医の資格認定を申請しようとするものは、次の各号の条件を満たすことが必要である。 日本国の医師免許証を有し、医師として人格及び見識を備えていること。 申請時において引き続き5年以上学会の会員であること。 (中)日本リウマチ学会が認定した教育施設等において、通算5年以上のリウマチ学の臨床研修を行ったこと。 (中)日本リウマチ学会専門医資格維持施行細則による研修単位を30単位以上取得していること。 関連基本領域学会の認定医或いは専門医の資格を有すること。 指導医の資格は次のとおりです。 教育施設(またはこれに準ずる診察施設)に10年以上勤務した経験を有し、最近5年間に10以上のリウマチ学に関する研究業績発表のあること。 申請時において、既に10年以上学会会員であり、リウマチ学に関する研究活動を行っていること。 臨床系にあってはリウマチ学会の専門医であること。 ======================= 以上、引用 日本整形外科学会(↑の「流れ 2005No.240 リウマチ医療の現状」 より 再び ====================== 以下、引用 認定リウマチ医 日本整形外科学会も、リウマチを専門に診ることができる、日本整形外科学会認定リウマチ医制度を定めています。整形外科の認定リウマチ医は、まず6年間のリウマチを含めた整形外科の研修を受け、専門医試験に合格した専門医がさらに特別なリウマチの研修を年に2回以上受け、試験に合格すると認定リウマチ医として認められます。現在4,736人のリウマチ専門医が在籍しています。 ¬================== 以上、引用 日本リウマチ財団 リウマチ情報センター より ==================== 以下、引用 日本リウマチ財団 リウマチ情報センター 日本リウマチ財団では、リウマチ登録医という資格を定め、ある一定の資格を持つ医師に登録医を認定しています。 ( 登録医の資格 ) 第3条 登録医の登録は、関節リウマチ及びその類縁疾患並びに膠原病について知識及び経験を有し、現在に至るまで引き続き5年以上リウマチ診療に従事している臨床医であって、直近の5年間において次の各号の要件を満たすものについて行う。 (1)リウマチ診療患者名簿40名(アメリカリウマチ学会1958年関節リウマチ診断基準によるデフィニット以上の関節リウマチ又は同1987年関節リウマチ分類基準を満たす関節リウマチ3例以上を含む。)を有すること。 (2)前号のリウマチ診療患者名簿のうち20名(前号に規定する関節リウマチ3例以上を含む。)について診療記録(関節リウマチについては、ステージ及びクラスを記載する。)の記載を有すること。 (3)財団が主催し、又は認定する教育研修会(以下単に「教育研修会」という。)に出席し、20単位以上を取得した証明書を有すること。 =================== 以上、引用 2006年 08月 20日
隣のうちにはアメリカ人のおばちゃんが住んでいるのだが、もう一方の隣のうちはずっと空き家になっている。庭も草ぼうぼうで、ハブが出没しているらしい。
その庭にバナナの木がはえているのは知っていたのだが、おととい、その木にバナナの実がなっているのを発見した!!! まだ青いが、たわわになっている。隣の家は空き家だし、ここにバナナがなっているのは誰も知らないと思う。うちの庭からしか見えないし。(笑) この実が色づいて、食べごろになったら、こっそり収穫して食べようと思う!!!(これって、窃盗?) 鳥に先に食べられるかな。 それにしても、バナナが庭になるなんて、やっぱり沖縄は南国だぁ。多分「しまバナナ」だろうな。甘くて、おいしいのだ。高いしぃ。クククク。 ![]() 2006年 08月 08日
8月2日にLCAPの5回目を終え、これで1クール終了した。1回目をしたのが6月14日で、その後、原因不明の微熱のためキャンセルが続き、結局2回目を行ったのが7月12日だった。1回目と2回目の間がちょうど4週間空いたことになる。4週間も空いてしまったら効果がなくなるのでリセットしてまた1回からやり直したほうが・・・とDr.に提案したのだが、保険の関係で無理と却下された。
幸運にも?2回目からは順調で、3回目、4回目、5回目と1週間ごとに実施できた。 「効果は?」と聞かれると、残念ながら「う~~ん、ないみたい…」という返事になってしまうかな。 これまでブログに書いてきたことと重なる部分もあるが、LCAPの記録としてまとめておこうと思う。(リウマチでLCAPを受ける人は少ないとは思うのだが) 1回目(6月14日): 初めてなのでちょっとドキドキ。期待と不安が入り混じる。噂には聞いていたのだが、布団針くらいの太さの針を見たときにはちょっとギョッとする。両腕の肘の静脈で脱血と返血をしたため、穿刺は1回でうまく行くが、「貼り付け状態」になる。「貼り付け状態」で2時間以上過ごした。その時知らず知らずのうちに体に力が入っていたのか?あとで肩凝りに。 潰瘍性大腸炎と違ってリウマチの場合は循環させる血液は多ければ多いほど効果があるという業者の人の言葉で、約5リットルの血液をセルソーバ(フィルター)にかけた。2時間半もかかった。途中で脱血がスムーズにいかずブザーがなることが多かったので、時間をかけてゆっくり脱血した。布団針くらいの針をちょうど肘の辺りに刺したまま2時間半、腕が曲げられないので顔が痒くなってもかけずそれが辛かった。トイレにも行きたくなったけど我慢した。けっこう「難行苦行」の印象の初回だった。 2回目(7月12日): これまでキャンセルし続けていたので、この日も私が透析室に姿を現すまで「本当に来る」とは思われていなかったようだ。(苦笑)あとで聞いたら、私が家を出た後、病院から「ちゃんと病院へ向かったか」という確認の電話もあったそうだ。「信用されてないなあ…」と思ったのだが、これまでベッドを確保してセルソーバを用意して待っていたのに私が現れず、すべてが無駄になったということもあったらしい。でも私は無断キャンセルはしなかったし、前日にはキャンセルの電話をしていたのだから、病院内の連絡ミスもあると思う。(連絡が余りよくできていないなあという印象は兼ねてからあったし)ま、1回目の難行苦行のイメージもあって、微熱と風邪症状もなかなかよくならず、2回目に踏み切りにくかったのも事実だ。 針を刺す看護師さんにいろいろ言って、今回は右手の肘の辺りの静脈で脱血、左手の手首の静脈で返血をした。左手の肘が曲げられたので顔が痒くてもかけたし、寒く感じた時、布団を引っ張り上げることもできたし、1回目で覚悟ができていたこともあったのか、2回目はあっという間に?終わった。看護師さんが来て「終わりですよ」と言った時に、「ええ?もう??」と答えてしまった。看護師さんが「まだ、やりたい?」と言ったので、「いえ、いえ!!」と返す。やけに早いなあ…、気のせいかなあと思ったのだが、あとで、循環させた血液が2.5Lだということがわかった。前回の半分くらいの量だから、早いはずだ。時間も1時間半位だったような気がする。この時は、なんだかボーっとしていて、時間も循環させた血液量もチェックしていない。 3回目(7月19日):2回目が快適だったためか、ルンルン気分で病院に行った。1回目からそうなのだが、まず体重を測る。LCAPが終わった後に再度体重を量ると、必ず400g増えていた。生理食塩水の分だろう。 今回も、いつもの看護師さんが来て、前回と同じ場所に針を刺そうかと言ったのだが、左手首はまだ内出血がひどく押さえると痛みがあるのでやりたくないと言った。同じ針を刺すのでも、肩に近いほうが痛みを感じにくく、手に近い手首は痛みを感じやすい。針を刺す時も痛いのだが、ちょうどいい位置に針を収めるために針先の位置調節をするときにもかなり痛い。神経に来るような痛みだ。そういうわけで、今回は右手首に返血用の針を刺そうとしたのだが、うまく行かなかった。。。左の手首の方が血管が太いんだね…ということで、結局、今回は両腕の肘の静脈になり、またもや「貼り付け状態」に。でも、すぐに終わるからいいや!と思っていたら、今回に限りまた業者の人がやって来て、リウマチの場合はなるべく多くの血液を循環させたほうがいい…と言い出し、4.5Lの血液を環流させた。で、時間も結局2時間半かかり… この時のスタッフの会話で、前回の2回目は2.5Lの血液を循環させたことが判明。私としては、どうも効果はなさそうなので、早く終わる方がいいんだけどなあ…と思いつつ、看護師さんが「終わるの、遅くなってもいいですか?」と聞いたので、「いいですよ!」とやけっぱちで答えた。2時間半の「貼り付け状態」だったけど、慣れてきたのか?1回目よりは苦痛ではなかった。諦念の勝利か!? 顔も痒くならなかったし。(笑) 4回目(7月26日):今回から行く前に「これから行きます」と言う電話を入れてから行くことにしたので(まだ、信用されていなかった?)行ったら、準備ができていた。それまでは、行ってから準備をしていたらしく、30分くらい待たされたのだった。体重を量って、ベッドへ。午後のせいか、透析室はいつも空いている。どのベッドがいい?と聞かれたけど、どこでもいいのだ、ベッドの場所なんて。 一番手前のベッドに横たわり待っていたら、看護師さん同士が穿刺(「せんし」針を刺すこと)を譲り合っている声が聞こえる。どうやらいつも穿刺する看護師さんの姿が見えないらしい。「~さん、やってよ!」「え?!私、やったことないしぃ…」みたいな会話が聞こえてくるけど、そういう会話は患者の聞こえないところでやってくれ~。不安になりながら待っていると、いつもの看護師さんが現れ、全員、ほっとした。一番ほっとしたのは、もちろん、私だ!! 今回は、2回目の手首の内出血も治っていたので、左手首で返血、左の肘で脱血をした。穿刺も一発でOKで、さすが、いつもの看護師さん!! この男性看護師さん、最初は恐る恐るだったけど、回を重ねるに連れて自信が出てきたのか、上手になった。私は看護師さんを育てているのだ。(笑) この時にわかったのだが、手首に使った針の太さは18というものだったらしい。針の太さを表す数字が大きいほど針は細くなるらしい。それから推察して、肘に使ったのは17か16みたいだ。 この日は左の手首で返血、同じく左の肘で脱血をしていたので、返血された血液が再び脱血されているのが判明。チューブを通る血液の色が濃くなったり薄くなったりしていることからわかった。循環から戻ってきた血液は生理食塩水と混ざっているので、色が薄く、静脈血は色がドス黒い。同じ腕でやっても、脱血の箇所のほうが心臓から遠い、もしくは返血の箇所と同じくらいの位置だと大丈夫らしい。私が「今回はもうこのままでいいです!!」と言ったため?、特に穿刺の箇所のやり直しはしなかった。 今回も多い方がいいということで4Lの血液を循環させた。2時間半かかった。途中でどうしてもトイレに行きたくなり、仕方ないので、ベッド上で女性看護師さんに尿瓶で取ってもらった。血液の体外循環を止めたりするのはかなり手間みたいだったので、「恥じらいを知らない」私は尿瓶でやったが、「恥じらい多き乙女」はこれは嫌かもしれない。ベッド上で尿をする練習は股関節人工置換手術の前にやってあったのでOKだったが、ベッド上ではどうしても尿ができない人もいるらしい。このトイレ問題はLCAPの一つの難関かもしれない。 5回目(8月2日):最後のLCAPだ。今回も電話をしてから行ったので、準備万端?整えて待っていた。トイレに行って、体重を量って、いざベッドへ。ところが、時間の関係か?いつもの穿刺の看護師さんがいない。その時に一緒にいて穿刺の様子を見ている看護師さんもいない。嫌な予感… 初めて見る看護師さん3人が穿刺を譲り合っている。本当に「真剣に」譲りあっている。。。で、まず一番年配の女性看護師さんがやることに。この様子から布団針くらいの針を生身の体に刺す機会は、みなさん、あまりないようだ。脱血は太い静脈じゃなきゃ駄目ということで、まず右肘静脈にブスリ。これはうまく行った。ホッ!! が、これで右腕は曲げられなくなった。どこに返血の針を刺すか? これが問題となった。まず、右肘に脱血のため刺した場所の近くに走っている静脈に穿刺を試みる。針は入るのだが、血液が出てこない。あれこれ針先の位置調節をしても駄目。「痛かったら言ってね…」と言う言葉に、私「大丈夫です。もう慣れたから」。他の看護師さん「慣れさせられたんだよね!」と一言。結局駄目で、この場所は放棄し、1人目の看護師さんはリタイア。 次の候補は、2回目、3回目の実績がある左手首。でも、いつもの看護師さんじゃないので、ここもうまく行かず。。。痛い思いだけして、仕方なく放棄。2人目の看護師さんもリタイア。3人目の看護師さん登場! 次の候補は、左肘から5cmほど手先のあたり。血管は見えるのだが、針は刺せそうもないなあと思ったけど、トライ!! でも結局駄目で、諦め、3人目もリタイア。。。 最初の看護師さん再び登場。結局左の肘に穿刺。なんだかんだやったけど結局、右の肘と左の肘になり、やっぱり「貼り付け状態」に。こんなことなら最初から「貼り付け状態」を選ぶべきだったのか? 今回は、体外循環前と後に採血した。循環前はいつもの検査のための採血。CRPはいつもどおり「0.1以下」。MMP3はまだ結果が出ていなかった。今回は約4.5Lの血液を循環。40mL/分の速度でやったので2時間くらいかかった。わりと順調に脱血できて、途中ブザーも鳴らなかった。ブザーが頻繁になると、30mL/分に切り替えていたのでより時間がかかった。ゆっくりやるほうが体にはいいのだが、時間がかかるのでそれもいろいろと問題があり… 今回は、トイレは何とか我慢できた。5回目となるとなんだか慣れてきて、ベッドでうとうとしている間に終わった感じがしなくもない。いつもながら、終わった後、針を抜いた時の自由になる腕の爽快感は堪らない!! あとで看護師さんに聞いたのだが、抗凝固剤の影響で頭痛が起こることがあるそうだが、私の場合は感じなかった。でも、LCAPをやって帰宅した後のひどい体のだるさはいつもあった。何もしたくないほどだるく、寝ているしかなかった。 結局、効果はほとんど感じないし、穿刺は痛いし、腕が曲げられないのは不自由だし、トイレに行きたくなったら面倒だし、医療費はかかるし、2クール目はやらないな!! エンブレルもそうだったけど、私のように血液検査上はほぼ寛解の場合、LCAPの効果も表れにくいのだろう。「効いた」という人に聞くと、それまで膝に水が溜まっていたとか、CRPがかなり高かったとか、炎症がひどいと思われる場合みたいだ。ま、薬はみんなそうだけど、ひどい症状の方が効き目がわかりやすいかも。 余談だが、LCAPの穿刺のあとはその辺りが内出血して浅黒く変色する。特に5回目は針を刺されまくった(合計5箇所)ので、両腕のそこらじゅうに内出血のあとが。右肘の辺りが特にひどく目立った。会う人に「どうしたの、それ?」とよく聞かれた。「ドメスティック・バイオレンス…」と言うと、みんな一様にどう返答していいかわからず困っている表情になった。すぐに「冗談、冗談」と言うと、みんなホッとするのがわかった。 前にもこのブログに書いたのだが、LCAPに関する情報はこちらでどうぞ。 LCAPについて 2006年 08月 04日
![]() 晩年のボルボ犬(この頃はまだ元気に歩いていました) ボルボ犬が死んで1週間が経ちました。皆さん、たくさんのコメントをありがとうございます。いつもながら、慰められ、そして、励まされます。 ご心配をおかけしていると思いますが、私は意外と元気でフツーに暮らしています。ボルボ犬が逝ってから2,3日はとても悲しくて、何を見てもボルボ犬を思い出して涙があふれましたが、1週間経った今はボルボ犬のいない生活にもだんだん慣れてきました。意外と?早い復活は、やはり、ボルボ犬が天寿を全うしたと思えること、最期まで面倒を見てやれたこと、2週間の寝たきりの期間に心の準備ができたこと、などがあるのかなあと思います。日々の忙しさにも紛れて?今は元気になりましたが、もしかしたら「悲しみの第2波」が訪れるのかもしれません。でも、それも「ドンと!」受け止められるような気がしています。 そして、夏休みに入りました。夏休みに入ったら時間の余裕ができるので、ゆっくりボルボ犬の世話をしてやれるなあ(いつも、同居人に任せていた… 体位交換などの力仕事もあったし)と思っていたのですが、夏休みを待たずボルボ犬は逝ってしまいました。部屋のいつもボルボ犬のいた場所は、いつ見ても「シンと」(ホントに、「シンと」という感じなんです)しています。庭の犬小屋と鎖もそのままあります。今、ボルボ犬は骨壷に入って食卓の上に乗っています。食事をするときには、ボルボ犬の写真を見ながら思い出話をしています。初めてうちに来た子犬の時の写真、壮年期の立派な?犬になった写真、そしてその隣に骨になったボルボ犬が並んでいます。 ボルボ犬の遺したドッグフードやフィラリアの薬、ペットシーツ、エアーマット(の代わりの海で使うボート?)やスポンジシートなどは、犬好きの友達の友人で、迷子の犬や捨てられた犬、里親の見つからなかった犬を引き取り面倒を見ている人がいるので、その人にすべて引き取ってもらうことにしました。世の中には、地道にボランティアをやっている人がいるんだなあ…とつくづく思います。また、あかりさんのブログに紹介されているのですが、盲導犬などを引退した犬を引き取って最期まで世話をしている人たちがいることも知りました。少しでも協力できればと思い、カレンダーを注文しました。ボルボ犬のおかげでいろいろなことを学ぶことができました。それから、おいものブログにもボルボ犬大往生のことを書いてもらっています。 最後に、ボルボ犬の褥瘡(じょくそう)のことを聞き、介護用マットを送ろうかと申し出てくれた人、ボルボ犬の訃報?を聞き、心配してメールをくれた人、心が癒されるようにとプレゼントを送ってくれた人、遠くから電話をくれた人、メールでボルボ犬の話をいろいろ聞いてくれた人、自分の愛犬の最期の話をしてくれて悲しみを分かち合ってくれた人、そして、ボルボ犬がいなくなった毎日の悲しみと喪失感をシェアーし、ボルボ犬と暮らした日々の思い出を語り合える同居人の存在に感謝しています。もちろんネット友達の暖かいコメントにも! 皆さんのおかげで、ボルボ犬の遺してくれたゆったりとした夏休みの日々を有意義に使おうと思えるようになりました。意外に?早い復活に天国のボルボ犬(ちゃんと天国に行けたかなあ…とちょっと心配)(笑)も安心していることでしょう??? 「友情は悲しみを半分にする」 ← これ、ホントでっす!! 追伸:パールさん、うちにはまだ「やつの抜け毛」が所かまわず舞っています。食卓の上にも常に5,6本!!(苦笑) 2006年 07月 28日
皆さん、下のスレッドにも暖かいコメントをたくさん頂き、ありがとうございました。皆さんのお気持ちにはずいぶん励まされました。
今日のお昼ごろ、ボルボ犬は静かに息を引き取りました。一昨日の夜、少しだけ鶏肉とレバーの煮たのを食べたのが最期で、あとは何も食べませんでした。でも、水は今朝まで飲みました。時々、引き付けのようなのを起こしたり、もがいたりしましたが、それはほんのちょっとで、静かな最期でした。今夜は一緒に過ごして、明日火葬します。 最期の2週間は寝たきり・垂れ流し状態でしたが、それまでの約17年間は本当に元気に走り回った犬でした。茨城で7年、沖縄で9年とちょっと暮らしました。どこに行くにも一緒に行ったので、旅行もたくさんしました。北は福島県の猪苗代湖、南は渡嘉敷島や久米島でしょうか。飼い主が泳ぐのが好きなので、猪苗代湖でも渡嘉敷島でも一緒に泳ぎました。もちろん、沖縄本島のビーチでも。 最後に一緒に泳ぎに行ったのは、去年の8月でした。その時は、ビーチまでの長い階段を上るのが少し大変そうでした。脚が弱っていたのですね、その頃から。 ボルボ犬と一緒に過ごした日々、本当に楽しかったです。ボルボ犬、ありがとう!! 天国でずっと見守っていてね!! 2006年 07月 22日
ボルボ犬が寝たきりになってもうすぐ1週間になります。下半身が全然動かなくなったので、自分の寝ている体位も自分で変えられません。もちろん、糞も尿も寝たままします。今は夏で水道の水も温かいので、庭で下半身を洗ってやりますが、それでも匂いは完全には取れません。
今日は獣医に連れて行って、点滴や血行をよくする薬やいろいろな注射をしました。もしかしたらこれで少しは元気が出て、立てるようになるかなと思ったのですが、もう筋肉が萎えてしまったのかもしれません。餌もほとんど食べないので、薬を飲ませられません。レバーの煮たのも食べると吐くし、薬がもう少し簡単に飲ませられればいいのになあ。。。 脚のどこかが痛いのか、体位を交換しようとすると痛がって噛もうとします。今日は大きな褥瘡を発見し、ショックを受けました。褥瘡ってすぐにできるんだなあ。。。 低反発マットは無理なので、海で使うビニールのマットを敷いてやれば・・・と思い、買いに行ったけど店はすでに閉まっていました。3件行ったんだけどね。時々苦しそうにクンクン鳴くのは、同じ姿勢で寝ているのが辛いのか。。。何も言わないのが不憫だよ。 道を散歩している犬を見ると、元気に歩けていいなあ!!と羨ましくなりました。この感情って、なんか覚えがあるなあと思い、振り返ると自分のことでした。(苦笑) さっさと早足で歩いている人や走っている人を見ていいなあ!!と思ったあの感情です。同じだあ。 というわけで、老犬介護は大変です。ついでに書くと、LCAPの3回目も無事終わりました。微熱もその後は出てません。効果は??? 鼻ズルズルと喉に痰が絡むのがひと月近く続いているで嫌な予感がして、耳鼻科でレントゲンを撮ってみたら、右目の上のほうの副鼻腔に炎症があることがわかりました。今日から抗菌剤を服用です。あと1週間で夏休みだから、それまで頑張ろう!! 2006年 07月 15日
水曜日にLCAP2回目をやってきましたぁ。微熱もなく、今のところ体調は悪くありませんが、相変わらず喉の痛みは治りません。。。シシャモは心なしか、凹んでいるような。。。(←気のせいかも?)
今回は1回目から4週間も空けてしまいました。でも、1回目より楽でした。時間も短かったような気がしますが、正確な時間はわかりません。はかってなかったもので。前回は両腕の採血をする場所に針を刺して貼り付け状態になって苦しかったので、今回は看護師さんを説得して?片方の腕は肘のところではなく、手首の近くに針を刺してもらいました。血管が細いとうまくいかないかも・・・と渋る男性看護師さんに、ああだ、こうだ言って、結局、片方の腕は肘の所(こちらで脱血)、片方は手首付近(こちらで返血)でやりました。私としては手首付近ではなく、もう少し上のほうでやって欲しかったのですが、そこは血管が細いから駄目だと。。。看護師さんの腕の問題じゃないの?と思ったけど、それは言わず。 理想的なのは片方の腕で脱血と返血をしてくれることなんだけど、(そうするともう一方の腕が自由に使えるので)、脱血と返血の場所は離れている方がいいということで、これは私が説得されました。(笑) でも、片方の腕が手首付近だったので、そちらの腕が曲げられて、顔が痒くても掻けたし(なぜか顔が痒くなるのだ)寒くなったら布団を引っ張り上げることもできたし、快適でした。トイレにも行きたくならなかったし。 と言うわけで、今回は快適に終わりました。その後微熱も出ないし、3回目は来週やります。 とりあえず、報告だけ。下のコメントへのレス、またあとで書けるかな?? 2006年 07月 09日
台風3号は、宮古島の方に逸れて、本島はそれほどの被害はありませんでした。昨日の夜から今朝にかけて雨と風がすごかったかな。庭の隅に避難させている植物たちが強風にあおられてぐったりしています。うちの家は海からの風が直接当たるので、塩害というか、風に含まれている塩分で植物がやられます。時々、街路樹も塩害で枯れているのを見かけます。
沖縄に来て、台風の後の感じが違うのにビックリしました。内地の台風はだいたい一夜で去り、次の日は「台風一過の日本晴れ」なんていう表現があるくらいスッキリと晴れるのが普通なんですが、沖縄では台風は1,2日は留まっていて、去ったあとも2,3日はグズグズとした天気が続きます。台風の名残というか・・・ ところで、微熱が引いて、体が楽になったと喜んでいたのですが、喉の痛みと鼻水と頭痛は相変わらずで、これは冷房を使う間は続くのかな・・・と覚悟を決めたところです。(笑) 今年の夏はこんな感じで終わるのかもしれません。(冴えないなあ・・・) 微熱の原因を探そうといろいろ検査したのですが、血液培養やレントゲン写真にも異常はなく、乳房エコーやマンモグラフィー(←ちょっと関係ないけど)にも異常はなく、どこにも問題は見当たりませんでした。 で、先先週計ったMMP3が、なんと!今年の2月にエンブレル使用時に計ったMMP3よりも、下がっていることも判明し、リウマチが活動性を増したための微熱でもなかったようです。エンブレルを使っていたときよりもMMP3が下がっているなんて!! 私にはエンブレルが全然効いていなかったことを数値が証明してくれました。 レミケードを使っていたときは、今よりMMP3が低かったので、レミケードは多少効いていたと思います。体感もそうでした。でも、基本的に私のリウマチはTNF‐αがおもな原因ではないようです。 あ、そうそう、隣のおばちゃんの車、台風対策として、破れた窓のところにソファを引っ掛けて?ありました。大胆!! 雨がたくさん入ると、車の床がプールになって腐食し、結局その修理代の方が高くなると思うんだけど、ま、他人事だし、いいか。(大爆) 2006年 06月 27日
微熱が引かず、ウダウダとくたばっているうちに、沖縄地方はすっかり梅雨も明け、毎日ガンガンの日差しです。隣のおばちゃんの車も今は幌を外し、オープンカーの本領を発揮しています。それにしてもあのセリカ、よくあの大雨に耐えた!! 車のシートも見た目はあまり傷んでいる様子もなく。(みなさん、下の記事へのコメント、ありがとうございました。)
あ、前置きが長くなりましたが、微熱が出始めてもう2週間以上経とうとしています。先週と今週に予定されていたLCAPの2回目と3回目は、微熱があり体がだるいので、スキップすることに。張り切って1回目を受けたのはいいのですが、その後が続かず…(ああ、私らしい!) 最初、微熱は風邪かな?と思っていたのですが、喉の痛みがなくなった今もしつこく続いています。さすがにこの土曜日には急に心配になって、土曜日だったためもあり近所のかかりつけ医のところに行ってきました。この先生、私のリウマチの医師のことも知っていて、細かいフォローをしてくれます。そこで、肺のレントゲン、内臓全般のエコー、尿と血液の検査をしたのですが、特にこれと言って問題はなし!でした。 しつこい微熱で、肺炎や結核(レミケードもエンブレルもやっていたので)も疑ったのですが、今のところそれも心配ないみたいです。甲状腺も異常ないみたいだし。 結局、微熱の原因はわからず、やっぱり風邪かなあ・・・ということに。あさってまでに微熱が下がらなかったら、診察に来るように、と今日電話でリウマチ医師に様子を伝えたら、言われました。もしかしたら、更年期の症状かもしれません。こちらも対策を立てなくっちゃ。 キャンピロバクターに感染してから、ホント!!体が弱っちゃったな。そういえば、腋の下が痒いので皮膚科に行ったら、カンジダが腋の下に生息していることがわかりました。相当免疫が落ちているね…と皮膚科の医師に言われました。もうこうなったら、病原菌なんでも来い!状態なんでしょうかねえ。。。 で、CRPは0.05でしたぁ。 2006年 06月 18日
うちの隣の家にはアメリカ人のおばちゃんが住んでいる。50代くらいの元気なおばちゃんの一人暮らしなのだが、近所にお子さんやお孫さんもいるようで、時々家族みんなでワイワイやっている。
それはいいのだが、このおばちゃん、赤いオープンカーのセリカに乗っている。アメリカ人がブロンドをなびかせオープンカーに乗っているのはなかなか絵になる。(でも、沖縄ではオープンカーは合わないと思うけど。なぜかって、雨が多いし、日差しも強いし、暑い時、冷房も効かないし) もう3ヶ月以上前になるだろうか、私がキャンピロバクター腸炎で入院するよりずっと前だったから。おばちゃんの赤いセリカの幌(雨・風・日光などを防ぐため、オープンカーに取りつけたおおい)のリアウィンドウに当たる部分が破れてしまっていた。どうして破れたのかわからないが、完璧にリアウィンドウに当たる部分がなくなり、「全開」になっていた。普通の車で言えば、リアウィンドウのガラスが全くなくなった感じだ。雨が降ると、当然雨が車の中に入る。私は気になって、ある日おばちゃんに「どうして直さないの?」と聞いた。おばちゃんの答えは「500ドルもかかる。お金がないから直せない。今修理のお金を貯めているところ。(笑)」というものだった。500ドルと言えば、約5万円だ。確かに安くはないが、何とかならない金額でもないと思う。おばちゃんの暮らしぶりを見ているとけっこう余裕がありそうなんだけど。 ところが、ず~~っと直さない。この3ヶ月以上、赤いセリカはずっとリアウインドウ「全開」状態だ。雨が降ると、車の中が濡れるらしく(当たり前だが)、翌日晴れた時には、シートなどを干していたりしていた。でも、直さない!!特にこの一ヶ月は、史上最高というくらい雨が降った。それも大雨!! で、ある日、リアウインドウの部分に傘を二つ中から並べておいてあるのを見た。思わず大爆笑!! ついに梅雨も明けそうだ。おばちゃん、よく頑張った!! これからはあまり雨は降らないだろうから、リアウィンドウ「全開」でもいいだろうが、冷房はどうするのか?? 本当に500ドルがないから直さないのか?? それとも、趣味なのか?? このことを書きたいと思いつつ、なかなか書く時間がなかった。書けたので、すっきりしたぁああああ。他人事ながら、すごく気になっている!!! 2006年 06月 05日
あずきさんがご自身のLCAP体験を書いてくださったものをまとめました。文はあずきさんが書いてくださったものをほとんどそのままここに載せましたが、LCAPと関係ない部分など少しだけ削除や変更した部分もあります。これはあくまでもあずきさんの体験ですので、皆さんと同じ結果になるとは限りません。あずきさんがLCAPの技師さんとお話されたこと、あずきさんがLCAPをして感じられたことです。
================以下、あずきさんのレポートです。===== みなさん、はじめましてリウマチ暦5年のあずきと申します。こん週6回目のレミケードをして今日の午後初めてのLCAPをする予定です。去年の6月から微熱が続きしんどくてたまらずレミになりました。でも相変わらず微熱が続き(今は少しは下がっています)今週のレミの日もしんどかったので先生がLCAPしてみようと、なりました。あまり期待していませんが。今月はすごい医療費になりそうです。オーバーした分は後で返ってきますが、きついです。 さてLCAPですが先生、看護士さん、技師さんに囲まれ、右手にふとん針のような太い針を刺され血液を機械に通し左手に戻す。私は血管が浮き出ていて太いので1回でオーケーでしたが血管が出にくい人、血流が弱い?人は、やり直しがあるかも? 針は見ないほうがいいかも。後は1時間寝ているだけ。気分も悪くならないし、ほとんどの方が大丈夫みたいですよ。私は友達から宿題(息子さんが臨床工学技師になるための大学に入学したので質問)を渡されていたので技師さんと2人になってからは、しゃべりまくりでした。大阪のおばちゃんですので。終わって期待?どおり変化なし。先生もまだ1回目やし~。技師さんも良くなって帰っていかれる人もおられますよ~と。なぐさめ。帰りに3割負担で45,000 円支払ってきました。週1回で5回セットなのですが、私は今月レミしているので、高額療養費利用でLCAPも今月中に終わらせたいので、週2回の強行です。あと4回、また報告させてもらいます。 昨日2回目のLCAPしてきました。りっぱな血管しているので、針はすんなりいけたのですが、血がうまくでない? 血管が膨らんでいるのがへこんで、管の中に小さな泡が混じり、管を左右何回か、入れ替えたりとなかなかうまくいかず、結局、生理食塩水?を何本か入れて、時間をかけて、ゆっくりいきますと。ず~とお喋りしていました。効果は、なんか、ちょっと体が軽いような、スッキリしたような、明日またしますので、効果楽しみです。今月は医療費、レミとで30万きびしいです。レミもう何回かしているので、高額療養費72,300円から限度額が40,200円に下がっているので26万は返ってきますが、いつになるやら? 3回目も、始めは血の量があまり出なくて、ゆっくりまわしていったのですが、途中からたっぷり出だし、1時間ぐらいで終われました。お布団をかけてもらって、暖かくしたからかな? 次回から、技師さんが、濾過させるカプセルを、もう少し大きい物に変更しましょうかと? そうすれば、より多くの白血球を、取り除くことができる、ただ時間は延びる。費用は同じくらい(このカプセルが高い 12万)先生のOKもでたので、発注してもらいました。3回目の効果はまだ? 4回目に期待します。終わってから1ヶ月ぐらいしてから、効いてくる人もいるそうです。こればっかりは、分からないと。医療費、今月は30万ですが、40,200円以上は返ってきますので、LCAP代いらないことに。エンブレルをすれば普通の生活がおくれると、憧れていたんですが、エンブレルでは高額医療利用できないので、まず、レミ数回して限度額引き下げてから、エンブレルに変更しようと計画していたのですが、エンブレル毎月4万円、レミだと月平均2.5万円(レミの月4万円、翌月1万円ぐらい)学費がいる子供をもつ主婦としましては、これ以上医療費使えない。 昨日は4回目のLCAP。今までは100のセルソーバー?で、1分間に50ml、1時間で3Lの血液を、処理していたのを、180に変更して(この病院では、初)、2時間で、6Lの血液を処理。より多くの白血球を吸着させてきました。スムーズにいくように、お布団を肩までかけて、蒸し風呂状態にしたせいか、1分間60mlで2時間かかりませんでした。LCAPされる方は、暖めることを、おためしあれ。今日は、なんとなく、体がスッキリしてます。ヨガしてきたのですが、熱出てからは、しんどそうなポーズはパスしてましたが、お魚のポーズもでき、一応みんなできました(体は硬いですが)。効果出てきたのかな?明日、5回目で終了、さて、どうでしょうか? 昨日5回目のLCAP、1セット終了。今回も、水分を多めにとって、蒸し風呂状態で。先生、初の針失敗「あれ?」なんて言わんといてほしいわぁ。両腕、針刺してあるところが、ずーと痛い。怖がらせてはいけません、針の所の痛みは途中で消えてました。 180のセルソーバー、ほんと新しいみたいですよ、支払いも3割負担で1000円ぐらいアップなだけで、倍の白血球を採ってくれる。白血球の数、1回のLCAP終わるころには元に戻るそうです。不思議ですね。さて、効果ですが、なんとなく、体スッキリしているような?手の甲の腫も、少しひいているみたい、お薬も良く効いてくるかな? 技師さんも、ほとんど副作用ないと。薬は点滴に、血液を固まりにくくするのを、混ぜてあります。冷たい生理食塩水が血管に入っていくので、その時に気分が悪くなるかも? でも、ほとんどないと。私は液が血管に入っていく時、腕に冷房の風があたっているみたいでした。でも、しばらくすると、分からなくなります。今日もまだ、手の甲の腫れ小さくなっています。 白血球の中の、顆粒球、単球、リンパ球を取り除くらしいです。間違って自分で、自分を攻撃している白血球を取り除いて、新しい白血球が増えれば、正しく働くのでは?と、私は理解してます。 ======================以上、あずきさんの体験談でした。 なお、あずきさんは週2回LCAPを行っていますが、週1回のペースで5回行うのが通常のやり方のようです。 2006年 06月 05日
LCAPについて、いくつかのサイトを読んでみました。以下のようなサイトですが、興味のある方はご覧ください。副作用については、あずささんも書かれていますが、重篤なものはなく、血圧低下や吐き気、眩暈がたまに起こるくらいのようです。効果持続期間については、いろいろな結果が出ているようで、まだ決まった所見がないみたいですね。
http://www.lcap.jp/ra/serch/index.php ↑ 旭化成のサイトです。LCAPを受けることのできる医療機関が出ています。ホームページに行けば、LCAPのいろいろなことがわかりますが、企業のサイトです。 http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/gakkai/jcr2006/200605/500356.html ↑ 日経メディカルの「メトトレキサート投与で効果が不十分であったり、効果が減弱していた患者に白血球除去(LCAP)療法を併用すると効果が回復することが確認された。」という記事です。効果持続期間については「白血球除去療法は重篤な副作用がないことが特徴の治療法だが、効果がどれだけ持続するかについては意見がわかれる。東原氏らの研究では、3カ月までは効果の持続がみられたが、6カ月までとする発表もあり、3カ月ごとの施行が理想的だが医療経済上は難しいといった意見もあった。」などといったことが述べられている。 http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/int/200504/372773.html ↑ これも日経メディカルの「インフリキシマブ効果減弱例に白血球除去療法(LCAP)が有用」という記事です。一部抜粋すると、「インフリキシマブは、RAに対して非常に効果が高い画期的な薬剤であるが、投与継続とともに効果が減弱する症例も一部散見され、そういった症例へのさらなる治療手段に難渋することもある。今回、このような例に「白血球除去療法(LCAP)」の併用を試み、有用であった症例を報告した。」とあり、その結果がでています。LCAPの効果の認められなかった人もいたそうです。 「薬剤治療抵抗性関節リウマチ患者に対する白血球除去療法」 宮崎県内科医会誌での報告です。医師向けにかなり詳しく述べられています。結果は、「ACR20% responseに達しコントロール群に比し有意に改善した。治療効果は少なくとも2ヵ月持続した。LCAP終了3年間の腫脹関節数の推移をみてみると,LCAPの集中治療後,疼痛の再燃を認める患者はあったものの腫脹関節数は概ねコントロールされていた」ということです。 副作用については「全LCAP施行回数75回中2回低血圧、嘔気および眩暈を認めた。いずれも、ショック体位および生理食塩水の点滴静注により、症状はすみやかに改善した。その他、出血傾向、感染などの重篤な副作用は認めなかった。」ということです。また、LCAP効果発現のメカニズムについても書かれています。 http://www6.ocn.ne.jp/~smhp13/html/riumachi.htm ↑ すぐ上に出てくる報告を行った医師が勤務している病院のサイトです。「6、関節リウマチに対する白血球除去療法」で、LCAPについて述べています。内容は、すぐ上のものと重なりますが、こちらの方が簡潔で素人にもわかりやすいでしょう。LCAPの効果発現の機序として、「炎症局所である関節から炎症の主体である活性化白血球が末梢血中に移行する、炎症状態に偏っていた末梢血のサイトカインバランスを病勢が抑制される方向に進めるなどにより治療効果が発現している可能性が示唆されている。」ということです。 最期に、少し古いですが、2005年5月1日付の日経メディカルには、以下のように書かれていました。 ==============================(以下引用) ◆ 2005.4.25 難治性RAへの白血球除去療法、承認後1年で成績良好 多剤抵抗性の難治性関節リウマチ(RA)に対し、白血球除去療法(Leukocytapheresis:LCAP)の使用が承認されてから1年。2日目のポスターディスカッション1では、LCAPを導入した各施設から治療成績が報告され、おおむね良好な結果が示された。 LCAPとは、片方の静脈から血液を体外に取り出し、活性化した白血球(リンパ球、単球、顆粒球)をフィルターを通して除去した上で、反対側の静脈へ戻す治療方法。2001年から潰瘍性大腸炎に対して保険適用されていたが、難治性RAに対しても有効性が認められ、昨年4月から適応拡大されている。 長崎大学病態解析・制御学講座(第一内科)の和泉泰衛氏は、11人のLCAP施行患者の6カ月間の予後を報告した。対象は、同科と長崎市の虹が丘病院に入院・通院中のRA患者のうち、LCAPの保険適用条件を満たす、多剤抵抗性で活動性が高い患者のほか、活動性が高く、肺病変や感染症などの合併のためMTXなどが使用困難なRA患者を含めた11人。LCAP週1回×5回を1クール施行し、終了後24週までの治療効果を評価した。 この結果、4週後のACRコアセットによる改善度判定(疼痛関節数、腫脹関節数、患者による評価、医師による評価、検査値などを元に治療効果を総合的に評価したもの)では、20%改善が8人、50%改善が3人と、全員に改善を認めた。関節破壊が比較的軽度なステージ1、2の患者(7人)の方が、ステージ3、4の患者(4人)に比べ、疼痛関節数や疼痛の程度、患者による全般的評価などが有意に改善していた。有害事象は特に認められなかった。 一方、24週までの成績をみると、5人はLCAPの効果が継続し、併用薬による治療の継続もしくは減量がなされていたが、残りの6人は12週以降に活動性が高まり、併用薬の変更・増量や滑膜切除術、2回目のLCAP施行など、治療の変更を余儀なくされた。治療効果の継続に影響する患者背景を検討したが、有意な項目は見いだされなかった。 このほかの施設からも数人~10人の短期成績が発表され、半数以上でACR20%以上の改善がみられた報告が多かったが、同時にnon-responder(無効例)の存在も指摘された。 LCAPには、抗リウマチ薬(特にMTX、レフルノミドや生物学的製剤)にみられる結核や間質性肺炎といった重篤な副作用がなく、外来で安全・簡便に施行できるメリットがある。しかし、適応の見極めや治療効果の持続性、複数回施行の有用性などについての評価は、今後の症例の蓄積を待たねばならないだろう。 ================================以上引用 2006年 05月 14日
自分が入院したりして、ボルボ犬のことを書くのをすっかり忘れていたのですが、ボルボ犬は「不死身!!」でした。今は、すっかり元気になり、あんなに傾いていた首も元に戻り、相変わらず「食欲の鬼!」に化してます。(笑)
一時はほとんど何も食べなくなり、「ボルボ犬が食べなくなったら終わりだなあ・・・」と思っていたのですが、レモン色さんのレバーの匂いに連られ・・・と言うコメントを参考にして、レバーを煮たスープをドッグフードに混ぜると、薬の匂いもごまかされ、食べてくれるようになりました。それから徐々に回復し、私が入院している間にすっかり元気になっていました。あの時もネットの皆さんの情報、たいへんありがたかったです。 今はボルボ犬、さすがに足腰は弱り、もう「立ちション」は無理ですが、たまには遠出の散歩も楽しんでいます。「元気な老後」です。(爆) ============== 下のスレッドのコメントが70になり、スクロールがずいぶん大変になったので、この下のコメント欄に私のレスコメントを書かせてもらいますね。 2006年 04月 30日
病院の設備と食事
病院は、入院してじっくり観察すると、とても配慮の行き届いた設備を備えていることがわかった。 まず、私の「友」トイレだが、すべてにウォッシュレットがついており、これがリウマチの人の手でも簡単に押せるような大き目のボタンつきだった。トイレの中は広めで、点滴スタンドを引っ張っていっても十分の余地がある。個室の中に花や絵が飾ってあり、落ち着ける。中に洗面台があり、ハンドソープも常備。ただ、手を拭く紙が置いていなかったのが難点。私の病室に一番近かったトイレは、2畳位の個室だった。車椅子の人でも、介助の人が一緒でも十分のスペースだった。この便器には自動便座昇降機がついており、膝の悪い人が楽に便座に腰掛けられるようになっていた。人工関節置換手術を受けた人にはありがたい配慮だ。このトイレの個室が広かったので、トイレが「友」の私は、この部屋に自分のベッドを持ち込もうかと思ったくらいだ。(笑) 次に浴室。全部で19床という病院なので、浴室も大浴場と言う感じではなく、個人の家の風呂という感じ。どこもバリアフリーになっていた。ずっと前から「流」などで見て一度使ってみたいと思っていた自動全身洗浄装置??(100円カーウォッシュの人間版??)がついていたので、もちろん試してみた。頭以外は適温のお湯のシャワーで温められ、浴槽に入れなくても十分体が暖まった。「体を洗うもの」というイメージだったのだが、「体を暖めるもの」だということがわかった。これがあれば、歩けない母の入浴も楽になるだろうな、と思った。ただ、この機械、頭は洗ってくれないので、自分で洗わなければならない。なんとなく、そこに座れば自動的に全身を洗ってくれる機械、という風に思っていたがそうではない。浴槽も、リウマチの人が入りやすいように設計されているらしかったが、私は1度も浴槽に入らなかった。「手すりは特注でつけたんだ」と医師は言っていた。普通の手すりは太すぎてリウマチの人には握りにくいため、リウマチの人の手に合う太さの手すりを探したらしい。ただ、入浴の日(月水金)が決まっていて、毎日シャワーを浴びたい私は不満だった。 あと感激したのが、ベッドマットだ。いわゆる低反発というものだろうが、この寝心地がすばらしくよかった。私は左股関節を人工にしていて、左側を下にして寝るとこの部分にちょっと違和感を覚えるのだが、このマットだと一切の違和感がなく安心して寝ることができた。もともとは褥瘡(じょくそう)を予防するために開発されたものらしい。Integra Medという商標だった。自宅でも欲しいなと思い、あとでネットで調べてみたら、128000円だった。。。ハハハ。買えない。 それから、ベッドが3モーターで、頭部分、足元、ベッド全体の高さをボタン操作で変えられる便利なものだった。病棟にあるすべてのベッドがこのタイプのベッドであることがスゴイと思った! ついでに、布団カバーも花柄の模様で、なんだか入院生活が楽しくなる感じだった。 テレビは、位置が自由に変えられる可動式のもので、その人にしか画面が見えない液晶画面だった。そのため、夜遅くまでこっそり(笑)テレビを見ていても、他の人には一切わからないという優れもので、私は11時ごろまで時々テレビを見ていたのだった。(爆) 消灯時間は10時となっていたが、そんなに厳しくはなく、他の人に迷惑をかけなければわりと自由という雰囲気で助かった。 それよりもっと助かったのが、院内の「携帯電話使用可」だった。入院している人が少数でそれぞれの状態が把握できているので、それも可能なのだろう。入院していて、外の人と自由に連絡を取ることができるというのは、とても大きな精神的なサポートになると思う。次回入院する時はパソコンを持ち込んで携帯電話で通信できるようにしよう!!(爆) 食事は、病室で食べてもいいが、ラウンジで食べることもできた。明るい南向きのデッキのついているラウンジで、ホテルのレストランのような感じだ。100円の自動コーヒーメーカーもあり、コーヒーを楽しむこともできたし、薬を飲むための水やお茶は自由にもらうことができた。冷たいお茶はいつでもクーラーポットに入っていたし、ポットに熱いお湯もいつも沸いていた。病院によくある箸とカップは自分の物を使うということもなくて、箸もカップも患者が用意しなくてもよかった。箸を食事の後で自分で洗うというのは、なんとなく貧乏くさくて嫌いだった。 ついでに、食事だが、これがおいしかった。以前股関節手術をした総合病院の食事はまずくて(高脂血症食というのもあったと思うが)食事時間が苦痛だったが(おかげで退院時には体重が5kg減っていた)今回の入院は食事が楽しみだった。今日はどんなおかずかな♪♪♪という気持ちで毎日ラウンジに行った。食事を残すことはなかった。そのせいか?それともお見舞いのたくさんの差し入れのせいか?? 絶食・点滴の日々が続いたわりには退院時の体重は増えていたのだった。。。(困) 退院した今でも、あの食事は懐かしい。時々手作りのチーズケーキなどがついていたのも、憎めないなあ。 この部分、書いているとなんとなく病院のコマーシャルみたいだなあ…と思ったが、これが正直な感想なのでそのまま載せる。入院生活が3週間とそんなに長くなかったのもいい印象を持った要因かもしれない。 退院が近づいた時に医師に「なんだか退院するとなると、極楽の日々が名残惜しいなあ」と言うと「あんなに大変だったのに、極楽の日々だったの???」と驚かれたのだが、印象は「極楽の日々」だったのだ。どうしてか?? 2006年 04月 30日
続きです。「尾篭な話」」ですので、注意してお読みください。
=========================== 4月11日(火):昨夜下剤を飲んで寝たので、朝一で便。すっきり! 午後は近くのコンビにまで外出。便秘さえなければ、快調なんだけどなあ。 全身の関節のレントゲンを撮る。右中指のシシャモ、おお張り切り!! 4月12日(水):すっきり快便。曇っていた空が夕方には晴れる。たそがれ時の空を見ながら食べる夕食は格別。遠くには山並みが見える。夕飯が終わる頃にはとっぷり日が暮れ、街の明かりが灯り始める。あ~あ、今日も1日終わったなあとなんとなく感慨深い。のんびりと景色を楽しみながら夕飯を食べる贅沢を味わう。命の洗濯かも。(笑) 4月13日(木):便、出ず。いろいろな意味で便に翻弄される日々だ。(爆) チョー下痢のあとはチョー便秘に悩まされる。腸は長い絶食の間に自分の仕事を忘れたのかもしれないと思う。しかし、ご飯はおいしい。 キャンピロバクター腸炎になると普通、嘔吐と下痢がおこるらしいのだが、私の場合嘔吐は一切なかった。と言うか、生まれてからこのかた、嘔吐というものをしたことがない。スゴイ胃だろう!!(って、自慢していいのか??) 今日は本当なら沖縄の病院に行く日。病院の「世紀の?引越し」後初めての診察になるはずだった。でも、行けないので沖縄の病院に電話をする。主治医に代わってくれて、現状とこれまでの経過を説明。キャンピロバクターに感染したことを告げると先生、驚いていた。当直の医師に私から電話があったことは聞いていたんだけど…と言っていた。 4月14日(金):朝一で便が出たが、半分だけの感じで、すっきりしない。まだ腸の中に半分くらい残っているのは確か!! 気持ち悪いが、半分は出たから、「ま、いいか!」ということでそれ以上追求しないことに。(笑) お見舞いの人が二人来てくれた。一人は沖縄出身で、現在は隣県に住んでいるという人。隣県からこの病院まで通っているそうだ。沖縄の話で盛り上がる。もう一人は、偶然にもこの近くに住んでいるというRAのネット友達。私のブログを印刷して持ってきてくれた。自分のブログが自分の知らないところで盛り上がっているのは興味深い。 4月15日(土):朝食の後、強烈にモヨオシテきたので、ヨッシャ!!という気持ちでトイレに行く。しっかし!!出ない!! 便秘のあまりの苦しさに摘便を試みたがうまくいかず、結局看護師さんに浣腸をしてもらい、すったもんだの末、すべてが出て、スッキリする。 その後の昼食がおいしかったこと!! だが、残っていた浣腸液の影響か、便秘に苦しんだ後遺症か、その後ゲッソリと疲れる。その日は1日、腸が腫れている感じもして、おとなしく寝ていた。友人の話によると、顔もむくんでいたみたいだ。 4月16日(日):元気に?朝を迎える。昨日の浣腸の影響か?今朝は難なく排便。もう普通の便だ。下痢はすっかり治まった。外出して、入院している母を訪ねた。その夜は実家に一泊。ゆっくり入浴して、一人の部屋で寝た。一人になる時間はやはり必要だ。4人部屋はなんだかんだ楽しいが、プライバシーはない。個室に入りたいなあと思うけど、1日8000円の出費は私には痛い。 4月17日(月):病院のリズムで実家に寝ていても7時には目覚める。もうすっかり体調は戻った感じだ。洗濯などをしてから家を出て、久しぶりに街に出てみる。退院してもOKという自分の感触。夜の回診の時、医師にそれを言うと「自分がそう思うのなら、いいよ!」という返事で退院決定。体調が戻ってきたので、外に出たくて仕方なくなってきたのだ。 4月18日(火):退院は木曜日に決めた。次の日の沖縄行きの便を予約した。というか、日曜日にはすでに予約してあったのだ。ウシシ… 妹にメールで「退院が決まってから、飛行機を予約するのが普通じゃろ!」と突っ込まれた。もっともなご意見で。 リウ友がお見舞いに来てくれる。リハ室に一緒に来て、しばらく私のリハを見ながら話していった。 4月19日(水):なんだか何かが吹っ切れたようによく眠れるようになった。今頃、4人部屋暮らしが板についてきたのかもしれない。(笑) 便も普通で、このごろはすっかり快調だ。腸も自らの仕事を思い出したに違いない。 ネットのリウ友が2回目のお見舞いに来てくれた。リハビリをやっていて長い間待たせてしまって申し訳なかった。沖縄の海をイメージしたブレスレッド(自作)と携帯ストラップを「退院祝い」にもらう。きれいだ。 4月20日(木):すっかり元気になって退院することに。3週間前のことをしみじみ思い出す。退院の前に診察。全身のレントゲン写真を見ながら話す。リウマチの炎症自体は落ち着いているけど、壊れた関節の痛みは仕方ないと言われる。手、肩、膝、足と問題は多い。後はしっかり筋肉をつけて関節を支えることと、今の可動域を保つように、ということ。 「ボルボさんにエンブレルは必要なかったんだよ!!」と再び言われる。レミケードの時も反対されていたけど(「ボルボさんにレミケードは効果ないと思う」と言われていたのだ)好奇心でやってみた。エンブレルも試してみたくて仕方なくてやってみたけど、やっぱり効果はなかった。この医師の言うとおりだった。。。 かといって、この医師がレミケードやエンブレルを使うことに積極的でないのかというとそうでもないこともわかった。入院中に会ったリウマチの人で医師にエンブレルやレミケードを勧められているという人や、勧められて始めたという人に少なからず会った。やはり、効くと思われる人には勧めているようだ。 というわけで、私は、しばらくは、シシャモ指とずっと一緒に生きていくことになりそうだ。膝や足首の痛みも炎症による腫れではなく、リウマチ自体は落ち着いているということだ。エンブレルやレミケードで、リウマチを「完全に」抑えこみ、晴れてシシャモ指にもステロイドにも「さよならする」ことを夢見ていたけど、どうも私にとってそれは今のところ現実的なことではなかったらしい。 この医師の言うことを聞かずに、レミケードやらエンブレルやら試してみた結果、やっぱり無効ということがわかり、最後には腸炎というおまけまでついてきた。言うことを聞かず勝手なことをしても「ボルボさんねえ…」と、説教しながら結果的にはフォローをしてくれる医師の存在はやはりありがたい。(と、今は殊勝になっているけど、またいつか好奇心が頭をもたげ、新しいことを試したくなる日が来るかもしれない気がする…(笑)) 蛇足だが、下痢が始まった頃、口内炎がひどくなった。そうそう、あのお好み焼きを食べた頃からだ。口内炎ばかりではなく、鼻の粘膜も荒れて痛くなっていた。腸の粘膜だけではなく、体全体の粘膜がやられていた感じだ。この口内炎と鼻の粘膜の荒れは、腸炎が治まるころに治るはず、というミョーな確信があった。そして、その確信どおり、腸炎が治まった頃、口内炎も鼻もすっきり治った! 今回の突然の入院騒ぎで、たくさんの人のお世話になった。医師を初めとする病院関係の皆さんはもちろん、お見舞いに来てくれた友達、メールでいろいろな情報をくれたリウ友、日常的に必要なものを調達してくれた弟・妹や友達、そして、遠くから入院生活に必要なパジャマや着るものを買い集めて何度も送ってくれた人。いつもたくさんの人に助けられる私はとてもラッキーだ♪♪♪ 最後に、医師に退院の挨拶に行った時、「退院しても、無茶したらいかんよぉ!!!」という医師に「無茶するって、具体的には何をすれば無茶なのか、よくわからないんですが…」と言った私でした。 (何も学んでいない?>私) 2006年 04月 30日
一度アップしたものを削除し、修正して、再度アップしました。内容的にはほとんど変わらないのですが、「便秘の詳しい描写」」などをカットしました。(笑) それでもやはり、内容が腸炎に関するものですのでどうしても尾篭な話・・・になってしまいます。
食事を控えた方、こういう話が苦手な方は、どうぞ「注意して」お読みください。 ====================== 3月31日(金):絶食・点滴は続く。下痢も続く。トイレとはすっかり「切っても切れない仲」に。 朝、6時ごろ導尿をして尿をとられた。尿培養をするらしい。導尿をして採尿しないと、尿に雑菌が混じり、正確な培養結果が出ないということだ。その次の日は便もとらなくてはならなかった。トイレが立ち上がると自動的に水が流れるタイプだったので、便の「確保」に苦労した。下痢状の便はそうでなくても確保が難しいのだ。 検査がらみで言えば、入院した日には、動脈血をとられ(血液培養のため)、肺のレントゲン写真も撮った。静脈血もとられた。この時のCRPは2だった。白血球は1万とちょっとあった。心配した白血球の現象は起こっていなかった。 電話やメールで入院を知らせたら、友達が二人早速お見舞いに来てくれた。ありがとう!! 4月1日(土):下痢が大分治まってきた。でも、点滴につながれているためシャワーが浴びられず、ヘルパーさんにシャンプーだけしてもらう。妹が入院生活に必要ないろいろなものを買ってきてくれた。 入院してからずっとリウマチの薬は中断している。 余談だが、同じ部屋に股関節を人工関節にするという人が入院してきた。人工股関節の先輩としては黙って入られない状況。(爆) いろいろと余計なアドバイスをした。回診の時に医師に、私と同じ人工股関節を入れるのかと聞いたら、あれから6年経っているのでずっと進歩しているよ、という答えだった。う~ん、ずっと進歩したのか。どこが進歩したのだろう? で、後日、手術をしたその人に聞いたところ、私のときは2週間の貼り付け状態だったのが、彼女は1週間以内にベッドの端に足を下ろして腰掛けていた。そして、1週間後には車椅子に乗る練習をしていた。また、傷口が私のときの半分くらいに短くなっていた! 4月2日(日):下痢が大分落ち着いてきたので、そろそろ食事もOKかな、という話も出るが、あと1日辛抱ね!ということに。がっかり。 入院以来ずっと24時間点滴で、どこに行くにも点滴スタンドのお供つきだった。入院してかなり早い段階でリウマチのためのリハビリも始めたのだが、そのリハビリ室で可動域調査の時に腕を大きく動かしたため点滴が漏れだしてしまった。そのため、点滴の針を刺す箇所を変えなければならなかったのだが、なかなかいい場所が見つからず、看護師さんにあちこち針を刺されて痛い思いをした。点滴の場所確保に苦労したのは初めてだ。 4月3日(月):食事OKの許可が出た。断食解禁後初の食事はもちろんおかゆ。朝ごはんからだ。おかゆに味噌汁。野菜の煮物、ヨーグルトというメニューだった。さすがに小さくなった胃には全部食べるのは無理だった。おいしいのはおいしいのだが、食べられなかった。しかも、食べている途中トイレに行きたくなってしまい、途中でやめて急いで病室に戻ってトイレに行った。それ以降、食事中、いつトイレに行きたくなるかわからないので、一緒に食事をしている皆さんに気持ちよく食べてもらうため、私はラウンジではなく、病室で食事をとることにした。それは3日ほど続けた。 下痢は、完全によくなったわけではなく、食事などの刺激があると思い出すように起こった。 食事は始まったが、まだ栄養が十分には取れないということで、24時間点滴はそのままだ。今日は、点滴の注入を一時止めて、シャワーを浴びた。入院して初シャワーだ。点滴の管がついたままなので、好奇心の旺盛な私でも浴室にある「自動身体洗浄装置?」を試す気にはまだならなかった。 4月4日(火):便が1日1回の軟便になった。(喜!!) 医師にキャンピロバクターが体から完全になくなるにはひと月ほどかかると言われ、4月からの新学期に退院が間に合わないことを悟る。事情を仕事先に話し、今月いっぱいの休職許可をもらう。病気の私にいつも暖かい配慮してくれる職場はありがたい。そして、私の授業の代講を快く引き受けてくれる同僚には本当に感謝している。 休職許可も出たし、この際、じっくり治そうと決める。ついでにリウマチのほうも、しっかり診てもらうことに。肩を初め、各関節のリハビリは毎日行った。最初に可動域調査をしてくれたPTさんは「講釈」はすばらしいのだが、「口ばかりで手が動かない」ので、他のしっかりリハをやってくれる他のPTさんに変えてもらう。このPTさん、女性だが、力のある人だ。力というのは物理的にも、PTとしての実力的にもという意味。 4月5日(水):下痢も収束の気配をみせ、便は朝食後1回だけだった。食事も取れるようになったので、24時間点滴が終わることに。うれしい!! なんといっても点滴スタンドからの解放はうれしい!! 手が自由に使える。 点滴に繋がれていると動きが制限され(特に手の)肩や背中や腕に緊張があり、筋肉が硬くなっていたとあとでPTさんに聞いた。こういう観察はすばらしいと思うけど、PTだったら当たり前にわかることなのか? アミノフリード(アミノ酸、電解質、水分補給のため)の点滴が取れて、入院以来ずっとしていたステロイドの静脈注入も終了。結局、アミノフリードの点滴とステロイド注入は3月30日から4月5日までの1週間だった。抗生剤の点滴(1日2回)はこのあとも4月8日まで続いた。 24時間点滴から解放されてコーフンしたせいか??38.1度の発熱。氷枕をしておとなしく(一応)寝ている。発熱の理由は不明だが、医師は「寝てれば治る」と言った。(笑)夕方には熱が引く。 4月6日(木):下痢が治まって喜んでいたのだが、その後、便の音沙汰なし。。。腸もいろいろあって疲れているんだろうなあ…と思う。でも、食欲は大いにあり、たくさん食べる。全てのものがおいしい! 4月7日(金):便は出ない。。。便秘になってしまった。下痢も苦しいが、便秘も苦しい。どっちをとるかと言われれば、下痢をとるだろう<私。 これまで下痢で蓄尿ができなかったので(便に行くと一緒に尿は出てしまうし…)、やっとこさ蓄尿開始。でも、つい尿をためるのを忘れてしまい、流した後に気づいても後の祭り。。。3回忘れてしまったが、看護師さんに「ま、いいか」と言われ、パス。 4月8日(土):便秘のあまりの苦しさに下剤を出してもらう。そのおかげで、夕方、便が出てチョーすっきり。でも、下剤のせいかお腹は重苦しく、なんとなく寝不足の感じで頭も重い。便秘って苦しいものなんだ。 抗生剤の点滴、終了。これですべての点滴から解放される。飲み薬の抗生剤は継続。 4月9日(日):日曜日なので午後は外出許可をもらい外出。近くの公園によって9年ぶりにソメイヨシノを見る。お花見の人たちがたくさんいた。実家に戻って、シャワーを浴び、いろいろ必要なものを持って病院に帰る。DMARDsをずっと中止しているせいか??シシャモ指、復活の気配! 4月10日(月):朝から雨。窓の大きい病室なので、天気がよくわかる。病室の窓から出勤している人々の車をなんとなくうらやましい感じで見ている。便は今日も出ない。洗濯物も乾かない。 医師の診察あり。DMARDs以外の薬の服用再開。血液中にキャンピロバクターが入っていたとしたら、敗血症や人工関節への感染の危険性もあったと言われた。しかし、こちらの病院での動脈血培養では、血中にキャンピロバクターは検出されなかったそうだ。便には検出されたそうだが。 ステロイド(10mgを1日2回)の静脈注入を5日にやめたので、小さくなっていたシシャモが完全に復活する。昨日出歩いたせいで足首というか足根骨の部分が痛い。湿布を出してもらう。 なんとなく毎日寝不足の感じがする。4人部屋なので気持ちのどこかが緊張しているのだろうか?? そういえば、顔と頭がピリピリする現象がまた出た。入院する前日の夜、寝ていると、頭と顔のいろいろなところがピリピリとする現象が起こった。痛いとか気持ちが悪くなるとか、そういうことはないのだが、ただピリピリするのが気になった。ピリピリする箇所は移動して、頭と顔の色々なところに起こる。入院以来この現象が治まっていて、キャンピロバクターの仕業だったのか?なんて勝手に思っていたけど、また復活した。医師に話したけど「う~~ん。なんだろうな… 疲れじゃないの?」と言う返事。確かに疲れを感じている時に頻繁に起こるような気もするが。レミケードを開始してから始まった口角のピリピリ感が首から上に広がった感じでもある。 2006年 04月 27日
3月28日:
お腹もそんなに痛くないので、実家行きを決行することにした。どうして無理して決行したかと言うと、格安ツアーで航空券を買ってしまっていたからなのだ。ホテルに1泊がついて、身障割引で往復する航空券料金よりずっとツアーの代金のほうが安いと言うことを今回発見し、喜び勇んで予約したこのツアー、キャンセルなんかするものか!!という意気込みがあった。(どこまでも、ケチでお馬鹿な私!!) でも、うちから空港まで高速バスで1時間あまり、そして那覇空港から実家地方まで飛行機で1時間半くらい。この間にトイレに行きたくなったら目も当てられない…特に飛行機の中でシートベルト着用サインが着いている時にモヨオシテきたらまさに地獄だ!と考えるくらいの脳みそはあった。 それで、朝ごはんを抜いた。水を飲んでも下痢をするかもしれないので、薬も飲まなかったという徹底ぶり。空腹もあまり感じず、努力が実り?高速バスの中では何事もなく空港に着いた。もし、高速バスの中でトイレに行きたくなったら、途中のインターで降りてトイレに行き、そのあとはタクシーで空港に向かおうと思っていた。(すごい根性!今思うと…。あとで実家地方の医師にも「ボルボさんは根性あるからな!!」と皮肉を散々言われたのだが) 無事空港に着いたら安心したのかトイレに行きたくなった。思いっきり下痢。今のうちに全部出しておこうと頑張った? セキュリティーチェックで案の定引っかかり、ボディ検査をされる。毎度のことだ。犯人は左股関節の人工関節だとわかっていて、それを告げても、一応のチェックはされる。靴も脱がなければならないのが面倒だ。そんなこんなで時間をとられ、時間ぎりぎりで搭乗口へ。でも、念のためにその前にトイレへ。やっぱり、下痢。よく出るものあるなあ…と妙なところで感心。 飛行機に乗る。シートベルト着用サインが消えたので、念のためトイレへ。さすがに出るものはなかった。(笑) 無事、フライトを終え、実家地方の空港に到着。ほっとしたらトイレに行きたくなり、またもや下痢。。。 東京から来る妹と待ち合わせていたので、空港のロビーで30分ほど待つ。お腹はなんとなく痛いが我慢できないほどではない。妹と会って昼食を食べることにしたが、さすがに私は何も食べない。水も飲まない。水を飲むと下痢するからだ。妹がおいしそうにランチを食べるのをなんとなく見ていた。そんなに食べたいとは思わない。ランチも済んで、二人でバスに乗り込む。この時間になると朝ステロイドを飲んでいないのが効いてきて?さすがに痛みが出てくる。体の動きもぎこちない。 予約してあるホテルにヨレヨレ状態でチェックイン。妹は実家へ。さすがにホテルのフロントのお姉さんが同情してくれて荷物を部屋まで運んでくれた。部屋に入って「トイレを確保」できたので、ここで何か食べて薬を飲まねば!と思う。近くのコンビにまで歩いて3分くらいだったが、必死で歩いて行って(遠かった!!)いなりずしとヨーグルト(お腹にいいかと思って)を買う。お腹がすいていたのかとてもおいしく食べた。そして、トイレへ。「いくらでも来い!下痢君!」という気持ち。 3月29日: ホテルでの1泊は「下痢を除けば」なかなか快適だった。朝ご飯は、ホテルのレストランでバイキング形式。お腹のことを思って、少なめにそれでもいろいろなものを食べる。(懲りない私…)それでも、お腹はおとなしくしているので、ちょっと安心した。細菌性の下痢だということだったけど、退院時点にもらった検査結果では、便培養、尿培養、血液培養いずれもマイナス(これが中間報告だったことに注意)だったし、「腹痛のちょっとひどいの」だったのかもしれないと「お気楽に」思い始めていた。 でも、その日は妹が用意してくれた実家のベッドでわりとおとなしく寝ていた。というか、やっぱりそのくらいの元気しかなかったのだ。夕方、母の病院に顔を出して、その後弟と妹と3人で、お好み焼き屋に行った。お好み焼きが食べたいなあとずっと思っていてそのことを話すと、弟が近くにおいしいお好み焼き屋があると言って連れて行ってくれた。なかなかこだわりのあるお好み焼き屋さんのようで、「指示」に従って、お好み焼きを自分たちで焼いて食べた。そのあと焼きそばも頼んだ。妹と弟はおいしいと言っていたが、私はさすがにお腹も不調だし、口の中がどういうわけがひどく荒れていてとても痛かったので、お好み焼きはおいしくなかった。というか、「遠くのほうで味がしていた」という感じだった。 で、お好み焼きを食べたら、さすがにトイレに行きたくなって、トイレに行ったら「和式」だったのだ。「和式」トイレでNo1をするのは慣れていたのだが、さすがにNo2はしたことがなかった。でも、出るものはどうしようもなく、リウマチでしゃがめなくなって初めて「和式でNo2!!」を経験した。(トイレの中での詳細は省く。って、書けたものじゃないしぃ…)もう2度と経験したくないことは確かだ。 ちょっと意気消沈して実家に戻る。お風呂に入ってゆっくりしてベッドに入った。同居人からメールが来ていて、「沖縄の入院していた病院の医師から電話があった。血液の中にカンピロバクターという細菌が検出されたということで、非常に心配していた」という内容だった。カンピロバクターって何?と思ったら、同居人のメールに簡単な説明があった。う~む、なんかわからないけどちょっと大変なことらしい。心配して電話をくれた医師の声がかなり深刻だったようだし。よし、明日は病院に行こう!と思いつつ、寝た。 3月30日(木): さすがに心配になって朝早く起きた。いつも世話になっている実家地方の主治医の病院に行こうかと思ったけど、そこはリウマチ科だし、腸炎だから総合病院のほうがいいのか、迷った。とりあえず主治医の病院に電話をして事情を話したら、「病院に来てみて」と言われたので、行った。9時ちょっと過ぎて行ったのだが、もう待合室は人でいっぱいで椅子もほとんど残っていなかった。ああ、これは2時間くらい待つな、と覚悟をしてあいている椅子に座ったとたん、名前を呼ばれた。すぐに診察室に入るようにと言われて驚いた。 言われるままに診察室に入ると、実家地方の主治医の顔色が変わっていた。沖縄の病院で書いてもらった診療情報提供書と電話での「血液中にカンピロバクターを検出」というメモが効いた?みたいだ。「こんな体でよくここまで来たね! まったく、ボルボさんは無茶するんだから!! とにかく今日は危なくて帰せない。 即刻入院!!」と医師に引導を渡された。私も「やっぱり入院かぁ…」と思いつつ、緊急入院になったことを妹に電話で伝え、入院にとりあえず必要なものを用意してもらうことにした。リュックひとつで病室に案内され、3人の同室の皆さんに「どうぞよろしく!」と挨拶した。差額ベッド代のかからない部屋はこの部屋だけで、ラッキーにもその部屋にひとつベッドが空いていたのだ。南側の大きい窓のある、明るい病室で、「なかなかいい感じ!!」と思った。 そして、またもや「絶食・点滴」の日々が始まったのだが、医師が「必ずよくなるからね。大丈夫!」と言ってくれたので、とても安心して治療を始めた。私のリウマチの経過や飲んでいる薬のこともよくわかっているし、人工関節の手術をしてくれた医師なので、この医師の病院に来てよかったぁ!!とあとでつくづく思った。「下痢は止めないで、思いっきり出るものは出してしまおう。しばらく下痢が続くけど心配はない。リウマチの薬はしばらく何も飲まないで。細菌感染しているから。」ということで、栄養剤入りの輸液と抗生剤の点滴と、ステロイドの静脈注射の治療が始まった。体は大変な状態だったけど、心は非常に安らいでいた。 2006年 04月 27日
皆様、お久しぶりです。
おいもの報告どおり、キャンピロバクター腸炎も完治し、無事沖縄に戻ってきました。キャンピロバクターが血液の中にも検出されたということで、最悪の場合は敗血症、また人工関節への感染の恐れもあったそうで、「九死に一生を得た」」のかもしれません。 今は、病院での規則正しい生活の反動か、はたまた本来のずぼらな性格のせいか、戻ってきてから寝てばかりです。毎日とても眠いです。 入院中は、おいもの報告に、皆さんのたくさんのコメント、本当にありがとうございました。 パソコンのない入院生活でしたが、このブログを印刷して持ってきてくださったリウ友がいて、病室でブログを読んで楽しむことができました。ありがとう! 今回のキャンピロバクター腸炎、一緒に「鳥の唐揚げ」を食べた友達はなんともなくて(幼稚園児一人を除く)私だけが3週間に及ぶ入院になったのはどうしてか? 医師は「すごく疲れていたんじゃない?」と言っていましたが、ストレスか、疲労か、はたまた、強力なリウマチ治療のせいか、それとも、たまたまキャンピロバクターのいる食べ物を食べたからなのか、謎がいっぱいです。 ただ、ステロイドと、MTX10mgにアザチオプリン、そして、7ヶ月ほど前に始めたエンブレルとの関係は、どうも否定できない気がします。 今回のキャンピロバクター腸炎入院のこと、「こんなこともあったんだ・・・」ということで、少しずつ記録風に書いていこうと思いますが、まあ、ボチボチということで。 こんな調子ですので、コメントをいただいても返事を書けないかもしれませんが、どうぞご容赦くださいませ。 =================== キャンピロバクター入院記 ことの始まりは、海行きだった… 3月21日(春分の日): 海仲間の一人が大阪に引っ越すことになり、彼女と沖縄最後の海行きを「決行」した。「決行」と書いたのは、その日は雨模様で、海に行くにはイマイチ…の天候だったからだ。でも、もうその日しか海に行く日はなく、雨が降っても海に入るぞ!との覚悟で海に向かった。悪天候のせいで?キャンセルした人も多く、参加者は全員で7人だった。うち2人は幼稚園児。 行く途中は晴れ間も出たりして、まあまあの天気になりそうだった。途中でスーパーに寄ってお弁当を買った。バイキング形式のお弁当で、弁当箱に好きなものをつめた。みんなで食べようといろいろなものを入れた。この中に犯人と思われる「鳥の唐揚げ」もあった。 海の水は冷たく、入る時には覚悟がいったが、入ってしまうと海の中はいつも通りきれいで、魚たちと珊瑚の美しさに見とれ、やっぱり海はいいなあと思った。でも、30分も海に入っているとさすがに寒くなってきたので私は海からあがった。元気な友達はまだまだ海を楽しんでいた。 余談だが、6年ほど前にオーダーで作ったウエットスーツがきつくなっていて、脱いだ後あまりの締め付けに内出血していた部分があったのにはショック!! 大阪に行く友達が大きめのウエットスーツをもう使わないからと言ってくれたので、今後これを着ることにしよう!! ラッキー♪♪♪ 海を楽しんだ後、みんなでお弁当を食べた。お弁当を真ん中において、みんなで食べた。「鳥の唐揚げ」を食べたのは誰と誰か、詳しくはわからない。お弁当を食べていると雨が降り出して、お弁当を途中でしまい、急いで着替えた。待っていても止みそうもないので、海は引き上げることにした。 まだ時間は3時ごろ。うちに帰るには早すぎるということで、ビーチから車で30分ほどのところにある温泉&プールのある施設で2次会?をすることに。温水プールや温泉やジャグジーをめいっぱい楽しみ、休息室で海で残したお弁当を「また」食べた。(これが敗因だったのかも?) この時に何が残っていて、私は何を食べたのか、よく覚えていないのだが、残り物をほとんど食べたような気がする。(食い意地が張っているのが、こういうときにバレル…) そして、夜も更け、とても満足して家路に着いた。 あ~~あ、今日は疲れたけど、楽しかったなあ!!と。 それから4日後の 3月25日(土):なんとなくお腹が痛かった。でも、そんなにひどくはなく、時々起こるお腹の違和感くらいに思っていた。下痢はしていない。 3月26日(日):お腹の痛みで目覚める。熱っぽいので熱を測ると37.2度くらいの微熱。変だなあ…と思いつつ寝ている。そのうち、お腹の痛みはひどくなるし、下痢は頻繁に起こるし、何より熱がどんどん上がってきて38.7度になった。これはまずい…と思い、リウマチの主治医のいる沖縄の病院に電話をする。もしかして、アザチオプリンも復活させたし… また白血球が減っているのでは…、と言う不安が一番大きかった。 しっかし!!運の悪いことにこの病院は「世紀の?引越し」の真っ最中で、診療も救急受付もしていない時期だった。電話で主治医に取り次いでもらおうとしたが、「無理!近くの救急病院に行ったほうがいい」と当直医に言われ、以前かかっていた病院の救急外来に行くことに。病院では、かなり待たされた。あまりの寒気に毛布2枚を貸してもらい、ベッドに寝て待っていた。 震えながら待つこと1時間以上。やっと、医師がやってきた。う~ん、若くて研修医っぽいなあ。(この病院は研修医に人気のある病院ということで有名なのだ)医師にこれまでの症状を話す。特に白血球のことを。そして、下痢をするので朝飲む薬を飲んでいないことを。ステロイドが切れてきて腫れが強くなっていることも。医師は、丁寧に聞いてくれた。 血液検査、検便をし、熱さましとステロイドの注射で、熱は収まった。免疫が落ちているようなので大事をとって入院しましょうと言われ、そうすることに。 下痢がひどいため、輸液をしながらの絶食になった。左手にいつもついている点滴の針はうっとうしい。特にトイレに入る時、点滴スタンドを引っ張っていかなければならなかったし、トイレのブースが狭いので動きにくかった。 この時はまだキャンピロバクターが検出されておらず、「細菌性の下痢」みたいだけど、細菌が特定されないという状態だった。DMARDs(MTX10mgとアザチオプリン)はそのまま飲むようにと言う医師の指示で、飲んでいた。エンブレルはその病院にはないし…ということで、なんとなく?中止に。結局、最後のエンブレルは3月22日で、合計55回打ったことになる。 3月27日(月):絶食・点滴のおかげか?「下痢止め」のおかげか?、翌日になると下痢が治まる気配を見せてきた。食事もおかゆからスタートでき(おかゆについていたおかずが「酢豚」だったのはちょっと驚きだったけど)下痢の回数も減ってきたので、退院交渉をした。(笑)病棟の私の担当医(研修医)は今日退院させることに不安を抱いていたけど、以前リウマチで診てくれていた内科医長がやってきて(私の性格を知っているからか?)「退院するかどうかは、自分で判断してください」と言ってくれたので、これ幸いとばかり退院した。翌日実家地方に行く旨を話すと「実家地方で医師に診てもらうように」ということで診療情報提供所を書いてくれた。多少の不安を抱きながらも、喜んで退院した。でも、下痢が止まったわけではなかった。夕飯は、玄米おかゆを作って食べた。翌朝まで下痢はしなかった。実家地方行きの準備を一応した。 (続く)
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